間違いだらけの防災マニュアル

防犯・防災
間違いだらけの防災マニュアル

間違えやすい防災用語

一般的に「防災マニュアル」とは、震災、火災、風水害などあらゆる「災害」を想定したマニュアルである。「震災マニュアル」とは文字通り、「震災」を想定したマニュアルである。
※これと異なる分類をしている文献もあるが本コラムでは上記のように定義する

管理組合の理事の方から「当組合では、災害対策マニュアルが整備できている」というお話を伺うことがある。しかし、その内容についてさらにお話を聞くと、それは震災だけを想定したマニュアルであり、その他の災害が想定されていないこともある。もし、お手元に防災マニュアルがあれば、それがどこまでの災害を想定したものであるか、確認してみてはどうだろう。
なお、すべての災害を網羅したものではなくても「台風マニュアル」や「消防計画」、「集中豪雨時の機械式駐車場対応マニュアル」など、想定される災害について順次保管していく方法もある。

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概念図(震災は災害の一部である)

もうひとつ、間違われやすい用語がある。「避難訓練」と「防災訓練」である。これはどこが違うだろうか。

避難訓練とは、一般的に消防法に定められた訓練の一部を指す用語である。火災が発生した時に備えるための「消防訓練」は「避難訓練」「通報訓練」「消火訓練」に大別される。つまり、避難訓練とは、火災を前提とした訓練である。

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消防訓練 概念図

避難訓練の多くは、ある部屋もしくは管理事務室などを火災発生源と想定し、エレベーターを利用せずに階段で下りる訓練だ。
マンションでの消防訓練は所轄の消防署の協力が得られる場合、おおよそ次のような手順で行われる。

①火災警報器を試験的に鳴らす(インターホンなどを利用して火災発生を知らせる)
②居住者が階段を使用して地上階まで下りる
③管理事務室前に集合する
④管理事務室の電話を使用し、119番に通報する
「これは訓練です」と前置きして通報、「火事ですか、救急ですか」との問いに「火事です」と回答することから始まり、一連の通報を行う。
⑤敷地内の比較的広い場所に移動し、訓練用の水消火器を使用して初期消火を行う。
参加者の何名かが、「火事だ!」と叫びながら、消火器のピンを抜き、ホースを延ばして火元に向かって放水するといった一連の動きを練習する。
➅消防署や管理組合理事からの話を聞く

上記のうち、②が避難訓練、④が通報訓練、⑤が消火訓練である。

この訓練は何の訓練ですか?

何のための訓練をしているのかを明確にしないと、実際の災害時に反対の行動をとりかねない。例えば、災害の種類によって「どこに逃げるのか」が異なる。
火災の場合は、エレベーターを利用せずに階段を利用して1階まで下りる必要がある。

震災の場合は「在宅避難」という言葉があるように、必ずしも1階に下りる必要はない。地震を感知するとエレベーターは停止するようにできている。そのため、1階に下りてしまうと、地震が沈静化した後であっても高齢者などは上階に戻ることができなくなる場合もある。

消防訓練の際に「階段を使って下階に避難しましょう」ばかりが強調され、何の訓練なのかが意識されないと、地震発生時にも下階に逃げようとする意識が働きかねない。
また、火災や震災は突然にやってくるが、台風などはある程度予測がつく。そのため、台風マニュアルは予報が出てから実際に台風が通過するまでの間にできることをまとめたものになる。発災後が中心の震災マニュアルとは時間軸が対照的である。

火災なのか、震災なのか、どんな災害を想定しているのかを明確に意識して訓練を実施するようにしたい。

震災発生!ケガ人発生!救急車が来るまでがんばろう!?

震災訓練と消防訓練の混同は他にもある。消防訓練をするときは、通報訓練も同時に行われる。その印象が強いと「119番通報をすれば消防車も救急車もやってくる」そういう印象を持つようになる。

確かに火災発生時には、多くの場合119番通報すればすぐに消防隊がやって来る。しかし、震災発生時はどうだろうか。阪神淡路大震災のときも、東日本大震災のときも、通報の集中や道路状況などの理由から、消防車も救急車も要請に応じきれていない。つまり、震災発生時には緊急車両は「来ない」という前提で考えたほうがよい。

救急車が来るのか、来ないのか、その前提を変更するだけで、訓練の内容も変わってくる。
消防訓練では、ケガ人が発生した際の訓練として、救急車が来るまでの時間で行う応急処置や、救急車を敷地内に誘導する方法などといった内容が想定される。
一方、震災訓練では、同じくケガ人が発生した際の訓練であっても、マンション内に何人のケガ人がいるのかなどの状況を把握するための情報収集訓練や、二次被害を防止するためにケガ人を室内から搬出する訓練などが想定される。

あなたの参加しようとしている訓練は消防だろうか、震災だろうか。手元にあるマニュアルは、火災用だろうか、震災用だろうか。「いろんな災害がごちゃまぜ」になっていないだろうか。

「縁起でもない!」最悪の想定

理事会で消防訓練の計画を立てていたときのことだ。「火元」を決めないまま、全住戸が1階まで階段で避難するという計画が立てられていた。
「火元はどこですか?火元によっては、使用する階段が異なるのではないですか」とある居住者が質問する。とてもよい質問だ。確かに、火災の時は、火元から遠ざかる方向に逃げるのが鉄則だ。
 しかし、ここで防災担当理事が次のように回答した。
「誰かの部屋を火元と想定するということですか?縁起でもない!」

さらに、別の理事会で震災訓練の計画を立てていたときのことだ。シナリオに「防災担当理事が各部屋をまわって安否を確認し、理事長に全員無事であることを報告する」とあった。そこである居住者が防災担当理事に質問する。
「震災ですので、家具が倒壊して死亡する方も出てくる可能性があります。死体安置所はどこにしますか」
ここでも防災担当理事の回答は次のようなものであった。
「このマンションから死者が出ることを想定するのですか?縁起でもない!」

縁起でもない事態を想定しない訓練が役に立つのだろうか。訓練の実施には火災であれ、震災であれ、最悪の事態を想定することが必要だろう。

企業の震災対策マニュアルに学ぶ

企業向けの震災対策マニュアル作成のノウハウを学ぶ機会があった。間違いに陥るのは管理組合ばかりではない。まず、企業が陥りがちなマニュアル作成の間違いを紹介しよう。
代表例は以下のようなものだ。

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このマニュアルの何がおかしいかお分かりだろうか。
社長や支店長が死亡したり、所在がわからなくなっていたりすることが想定されていないのだ。上記の場合、支店長と連絡がつかなければ、従業員は何もすることができない。ただの指示待ちの状況に陥る。社長はひたすら支店長からの報告を待つしかない。大企業であれば、支店長が不在でもその上司、さらまたその上司、というように複層的な組織となっているであろうから、次、次とエスカレーションすればよいと考えるかもしれない。
しかし、そうなると管理職全員の安否確認が終了するまで、この企業の災害対策委員会はまったく機能しない。
こうした状況に陥らないよう、企業の震災対策マニュアルには「役職名を書かないこと」が求められる。特定の個人に役割を固定化しないことが必要だ。

また、大震災が発生するのが、営業時間中なのか、営業時間外なのかにもよって人員体制は異なる。ある程度、震災発生の時間を分割して考えないと被害の想定は難しい。
こうした状況から「宣言制」を採用している企業もあるそうだ。
例えば、次のようなマニュアルである。

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災害対策委員長に就任しようとする従業員は特定されていないが、こうした際にあえて自ら宣言しようとする者は、もともと管理職であることが多いと考えられる。企業という組織でいえば、この委員長に就任しようとする者が「誰もいない」ということは考えにくい。また、誰もが災害対策委員長になれるような震災訓練が行われる。

これをマンションの災害対策と比較して考えてみよう。災害対策委員長は「理事長」に固定されていないだろうか。想定される震災の発生は、日曜日の日中など、普段はいない会社員の居住者が皆で揃って在宅している前提ではないだろうか。

あるマンションでは、集会室に「災害発生時に開ける箱」が置いてある。その箱をあけると、一番上に紙が載っている。そこにはこう書いてあるそうだ。
「この紙を手にとったあなたが、今から災害対策委員長です。」
箱の中には、災害対策本部の設営に必要な道具と、マニュアルが入っているそうだ。誰でも災害対策委員長ができるようにするための工夫である。企業のマニュアル例にあるような宣言制にも似ている。

サーファーと登山家

私は趣味でサーフィンをしている。何年前だったか、海上で波待ちをしていると、岸の方で声がする。
「地震!地震!あがれ~!」
海の上に浮かんでいると始終揺れているので地震には気が付かない。さらに、津波などあれば最も危ない場所にいることになる。
こういうとき、サーファーは自分より沖にいるサーファーに声をかけ、さらに自分が岸に戻る時に周囲にいるサーファーにも声をかけながら、急いで岸に戻る。
「地震!地震!あがれ~!あがれ~!」
まるで水紋を描くように、その声は伝播し、やがて次から次へ、ぞろぞろとサーファーが上がってくる。地震発生のニュースは、行政の防災無線よりはるかに早く拡散される。顔も名前も知らない者同士であっても、その日同じ海にいるサーファーは運命共同体なのである。

この話を聞いていた友人の登山家が「登山も一緒だよ」と話しはじめた。
登山家は山で知らない誰かとすれ違う時でも、必ず挨拶をする。
「こんにちは~!」「こんにちは~!」
そのすれ違いざまに、赤いリュックを背負っているとか、黄色い帽子をかぶっているとか、お互いに一瞬の特徴を記憶するのだそうだ。自分を記憶しておいてもらうために、わざわざ特徴的な服装をする人もいるそうだ。

怪我で下山できない、滑落、遭難など、登山にも危険がつきものだ。そういう時に「〇〇の斜面で赤いリュックの人とすれ違った」とか「黄色い帽子の人が沢の付近で休憩していた」などの情報が次々と登山家からもたらされる。その情報をもとに捜索が開始される。その日同じ山にいる登山家は運命共同体なのである。

サーフィンも登山もある意味、自然を相手にする命がけのスポーツだ。お互いに命を守りあう、そういう連帯感で危険を回避している。
その日同じマンションにいる居住者同士も運命共同体としてお互いの生命を守りあうことができるはずだ。

久保 依子
執筆者久保 依子

マンション管理士、防災士。株式会社リクルートコスモス(現株式会社コスモスイニシア)での新築マンション販売、不動産仲介業を経て、大和ライフネクストへ転籍。マンション事業本部事業推進部長として主にコンプライアンス部門を統括する傍ら、一般社団法人マンション管理業協会業務法制委員会委員を務める。

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