「幸福度」という考え方で、マンションの明日を想像する【前編】

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「幸福度」という考え方で、マンションの明日を想像する【前編】

マンションコミュニティの「寛容性」と暮らしの「幸福度」とは?

コロナ禍で会えずにいた筆者の友人と久しぶりに会食をし、「住みつなぎとは?」について語り合った。その友人とは、同サイト内のコラム「1円でもNOを経た熱海のマンションV字回復」で紹介された三好明氏だ。

地域活性化に情熱を傾ける彼は「地域や地方の住みつなぎ」についてという視点で。私は「高齢化マンションの住みつなぎ」という視点だが、次世代へのつなぎは少子高齢化が進む日本にとっては大切なテーマだとお互い認識している。

島原万丈氏の論文『地方創生のファクターX_寛容と幸福の地方論』を彼から紹介してもらった。私自身の勉強不足と、島原氏が企業でご活躍されていた時期と、私が在籍していた時代に開きもあってこの方のことは存じ上げなかったが、私と同じリクルート出身とのこと。

そんな親近感もあって、今回はこの地方論をなぞり、マンションコミュニティの寛容性や幸福度について、前編・後編に分けて考えていくこととする。

前編では島原氏の論文の概略、そして寛容性・幸福度とは何かをマンションにあてはめて考え、後編では具体的な事例などを想定しながら深掘りをしてみよう。

地域創生の目指すべきは、幸福度の最大化

最初に、島原氏の論文「寛容と幸福の地方論」の概要を私のことばで説明する。

論文では、今までの地方創生政策は地域における寛容性の重要性を見落としていると指摘する。地方創生政策は、地域の雇用や経済的指標を重視しているが、それだけで見るべきではないという主張だ。

若者が地域から流出する、また逆に首都圏などからUターンし故郷に戻ろうとする、そんな若い世代の行動に影響を及ぼすのが、地域の寛容性や幸福度だという。

地域に寛容性があれば、そこに暮らす幸福度は高まることから地域創生の目指すべきは、幸福度(Well-being※)の最大化にあるという。
※ Well-being:
幸福で、身体的・精神的・社会的にも良好な状態。持続可能な開発目標(SDGs)の3番目のGood Health and Well-beingの中に組み込まれている概念

ここでいう幸福とは、地域での「やりがい」や「生きがい」だ。

そもそも人は、価値観や境遇、才能は異なり決して一様ではない。だから、地域には多様性や創造性を受け入れられる力、いわゆる寛容性がなければ幸福度は上がらない。

そして、この多様性や創造性、そして寛容性を宿すのは、文化であり芸術になる。つまり、地域創生は文化芸術を柱に考えるべきだと結論付けている。

これは、アンケート調査で都道府県ごとの寛容性の気風を測定し、また同時に東京圏に住む各道府県出身の若者の意識調査サンプルから導いた答えだ。

なお、ここで語ったことは、私自身のことばでの要約。この論文のタイトル「寛容と幸福の地方論」でWEB検索してもらえれば、300ページ余りのPDFをダウンロードできる。興味のある方は、是非読んでもらいたいと思う。

マンションに置き換えると、どうなる?

さて、この地方創生論を高経年マンションに置き換えてみたい。マンション創生、いや、マンションの場合は「再生」もしくは「健全化」というべきかもしれない。概念的であれヒントを見出せるかもしれないという希望のもとで、仮説を展開しよう。

Uターンや他の地域からの移住が地域活性化の第一歩。古いマンションにおいては、若い世代が住みつく、または利用価値を見出し所有することが、マンション再生に向けての第一歩であることは間違いないだろう。なぜなら、新たな価値観や創造性を持つ若い世代が管理運営の主役になっていくことが期待できるからだ。

そのためには、マンションコミュニティに寛容性が備わっている必要があるということになる。
寛容性があって、若い世代が住んでよかった・買って良かったと思える幸福度(Well-being)が高まり、そこで初めて「マンションの再生」が始動するということだ。

しかし、実態はそう甘くはない。

マンションが再生や健全化できない原因とは!?

なぜ、簡単にはいかないのかを考えてみる。

古いマンションが抱える、再生や健全化できない理由はさまざまだ。
● 修繕積立金だけでなく管理費会計も赤字だから
● 資金が不足し、必要な計画修繕や最低限の営繕ができないから
● 自分がいるうちだけ住めればよいという心理があり、マンションの将来のことや管理に無関心だから
● 理事のなり手がいないなど、運営が立ち行かないから
● 多額の未収入金や所有者不明住戸が発生し対応しきれないから など

しかし、これらは不健全な状態を列挙しただけで、原因とはいえない。

原因は、「さまざまな考え方や想いを相互に理解し合い、これからどうしていくべきかを考えよう」という前向きさを発揮できないまま時が過ぎたことだ。そして先に列挙した問題が、現象として溢れ出したということになる。

マンションには多くの人が住まう。そんなコミュニティだからこそ、多様性や創造性を受け入れる寛容性があって、さまざまな問題に立ち向かう合意形成が作られるのではなかろうか。そうだとすると、それができていないマンションというのは、そもそも若い世代を受け入れる以前のはなしになってしまうのではないかと思う。

「マンションの再生」に足踏みをしている状態とは、幸福度の最大化を意識せず今に至ってしまったということだ。当然、住民自身のWell-beingは低いといえるのだろう。

寛容性を深掘りしてみる

日本人はそもそも寛容性が低い国民性という見方もできる。寛容性が低くWell-beingに程遠い不幸な民族とまではいわないが、寛容性を遠ざける「同調圧力」が強い民族という指摘もある。

日本人は「協調性」を貴び他人と衝突することをなるべく避ける和の文化があるという。これ自体は、大変誇らしいものである。

例えば、コロナ禍では戒厳令等で強制的に外出を禁じた国も多くあった。協調性が発揮される日本ではそんな法律は不要だった。独りで外を歩くにもマスクをし、多くの飲食店は倒産の憂き目と隣り合わせながらも営業自粛をおこなった。少なからず世間の目や空気ともいうべき圧力を感じ、自発的に秩序を守った結果だ。

「他府県ナンバー狩り」と称し県をまたいで移動をするよそ者への嫌がらせ行為も一部であった。さまざまな事情で移動せざるを得ない人や車に向け、自らの正義感で断罪の石を投げつける自粛警察のような行為も報道された。

日本には「場の空気を読む」という言葉がある。集団の人間関係や利害関係、雰囲気などを暗黙のうちに理解することだ。しかし、この能力がないと「KY」(空気読めない人)などといわれ、同調圧力の冷たい洗礼を受けてしまう。

協調性のある国民とは、誇らしげな響きなのだが、群れたがりで集団行動を好む行き過ぎた気質といえる。島原氏の地域創生の論文でも、ハンセン病の無らい県運動など、その他いくつかの同調圧力がもたらした日本の悪しき史実を紹介している。

もちろん、頭ごなしに協調性を悪者にしているわけではい。エチケットや礼儀、また仲間内の意思疎通や優しさに通じる協調性は大切だ。そもそも、協調性と同調圧力は無関係ではないが、その強弱において同一線上にあるものではない。同調圧力は、少数意見を持つ人に対して周囲の人と同じように考え行動するよう強制する雰囲気を指す。協調性は、自らの意思で互いに協力し合うという性質を指す。

だから、協調性は低いが同調圧力に乗りやすい人、逆に協調性は高いが同調圧力に乗らない人もいる。

いずれにせよ、度を超えた同調圧力は、差別的印象を与え、異なった価値観や個性を否定することになる。そして、多様性を認めなければ創造性の芽も摘むことになる。つまり、それが寛容性が乏しいということなのだろう。

前向きさを発揮できないマンションの空気とは!?

管理費会計や修繕積立金会計の資金を、将来を先読みし確保していく、適正なタイミングで必要な修繕を実施する、時代の変化に伴い管理規約などの見直しをおこなうなど、管理組合の健全性を担保していくためには、意思決定が必要になる。

しかしこれは、必ずしも簡単なことではない。

多くの場合、個人の費用負担やマンションの暮らし方・使い方などの個人の行動制限が求められる。当然、管理組合全体が納得ずくで物事を決めていかなくてはならない。「さまざまな考え方や想いを相互に理解し合い、これからどうしていくべきかを考えよう」という前向きさの発揮は欠かせないというわけだ。しかし、それこそ管理組合の空気次第ということになる。

寛容性が低くさまざまな想いを受け入れる土壌が乏しい、また創造性の芽を摘むような空気に支配されているような、いわゆるなんらかの同調圧力が強いマンションでは、前向きさの発揮は期待できず、冷静な判断に至らない可能性が出てくることになる。

マンションの未来を担う次世代、中古マンションを求める一次取得層から見ても、当然、幸福度の低いマンションよりは高い方が良いに決まっている。寛容性が低いマンションを、住みつなぐべき若い世代は敬遠するということだ。
それは、マンションの持続可能性が減衰してしまうということにつながる。

ここで、一次取得層が本当に幸福度の高い中古マンションを見極めることができるのか?という素朴な疑問もうまれるかもしれない。

一次取得層はなぜ、幸福度の高いマンションを見極められるのか?

彼らが幸福度の高い中古マンションをどうやって見極めるかの答えは意外と簡単だ。一次取得層は、年代的にデジタルパイオニアといわれる世代だからというのが、一つの回答になる。

一次取得者世代のマンションの探し方は、従来主流であったチラシや新聞広告、また仲介業者の店頭の貼り紙等よりも、SNSやWEB検索で情報を集めるケースが圧倒的に多い。中古マンション市場ではその傾向が特に強い。

インターネット上では、仲介業者の中古情報だけでなく、一般の人のリアルな口コミを拾い上げイメージすることもできる。ホームページを公開している管理組合やYouTubeでコミュニティ活動を動画紹介しているマンションもある。そんな管理組合は、そもそも管理やコミュニティに自信を持っており、若い世代が入居してくることを狙って発信をしている。
そんな創造性豊かなマンションなら、一次取得層にとって魅力的な、幸福度の高そうなマンションに思えるだろう。

もう一つの回答は、今後、管理計画認定制度が中古マンションの購入検討の重要な要素になってくるということだ。

公の制度により「居住価値の高い、管理状態の優れたマンションです」と認定されているマンションは、また認定取得のための努力をしてきた管理組合なのだから、「さまざまな考え方や想いを相互に理解し合い、これからどうしていくべきかを考えよう」という前向きさがある、寛容性の高いマンションと思えるからだ。また、この認定マンションの情報は、インターネット上で公開されている。購入を決める前に確認するのがセオリーになっていくのだろう。

幸福度の高い中古マンションかどうかを見極めるための情報は、いたるところに転がっている。だから、若い世代は幸福度の高そうなマンションに興味を持ち人気も高まる。幸福度の低いマンションには、次の担い手が集まらないということになるわけだ。

次回のコラムでは、この一次取得層の世代を深掘りし、幸福度についての具体的な想定をしていこうと思う。後編もお楽しみに!

丸山 肇
執筆者丸山 肇

マンション管理士。株式会社リクルートにて住宅情報北海道版編集長、金融機関への転籍を経て、大和ライフネクスト入社。管理企画部長・東京支社長などを歴任。マンションみらい価値研究所にてコラムニストとして活動。

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