玄関扉を閉めてしまえば、隣人が何をしているのかわからない。コンクリート幅約20㎝という、実質的には距離がない隣の部屋のその向こう側が、実は遠い他人の空間。生活を伺い知ることはできない。マンションとは、そんな生活空間である。だからこそ、自分以外の人に何が巻き起こっているのか、ちょっと覗いてみたい気持ちにもなるのではないだろうか。
今回は、少数ではあるが、当社に実際に寄せられたマンションならではのお問い合わせを調査した。さまざまな人が同じ建物内で暮らすマンションは、社会の縮図ともいわれる。お問い合わせ内容を紐解いていくと、社会の抱える課題が見えてくるのもまた事実だ。
なお、区分所有者や居住者からのお問い合わせのうち、漏水、騒音など特に多いトラブルについては、以下のコラムやレポートにて紹介している。
2021年7月21日 マンション事件簿── 緊急コールセンターが受けた実録とは
2021年2月22日 緊急コールセンターの受信状況からみるマンショントラブル
「突然父が倒れた! 今すぐに救急車で運び出したい!」
同居している親族が急に苦しみ出したときを想像してほしい。すぐに119番通報し、一刻も早く病院に連れていきたいだろう。おそらく誰もが見たことがあると思うが、救急車で病人を搬出するときはストレッチャーを使う。つまり、病人を寝ている状態で運び出す。
マンションに設置されているエレベーターは9人乗りから11人乗りが一般的であり、このストレッチャーは入らない。階段で運び出すとしたら時間がかかるし、何より、座位では心臓マッサージができない。まさに命にかかわる状態に陥るのである。
しかし、一部のエレベーターには籠内にトランクルームがついているのをご存じだろうか。後方のトランクルームを開けると縦の長さが確保でき、ストレッチャーを入れることができる。
このトランクルームは平常時は施錠されていて利用できない。以前、このトランクルームの鍵はエレベーターごとに違っていた。そのため、救急隊がトランクを開けたくても、鍵を持っている管理員や警備員がマンションにいないときは利用することができなかった。一刻を争う状態であるにもかかわらず、手間と時間がかかるという状態であった。
この問題を解消するために、平成15年にはトランクルームの鍵が「(Emergency Medical Trunk Room Key)」として日本全国で統一された。この鍵を救急隊が持つことによって、万が一の際にトランクルームをすぐに利用できようになったのである。
こうした経緯から、以前まで緊急センターにかかっていた「トランクルームを開けてくれ! 母が!」というような悲痛な電話は、平成15年以降、ほとんどなくなった。
表1は、当社緊急センターへの入電に関する事例(2022年4月1日~2023年3月31日受信総数62,160件、以下、このレポートにおける事例について同じ)のうち、E.M.T.Rキーの普及により、入電時のお問い合わせ事項も変化してきていることが伺える事例だ。
なお、ご自身のマンションのエレベーターにトランクルームがあり、E.M.T.Rキーなっていない場合は、キーの交換が可能だ。管理組合で検討することをお勧めしたい。
「母が病院で亡くなりました。一度、家に帰らせてあげたいです」
「ご遺体をマンションに運び入れるなんて。気味が悪い、やめてほしい。」そんな声を聞いたことがある。しかし、居住者が病院や介護施設等で亡くなられた場合、もう一度、今まで暮らしていたマンションに帰らせてあげたいと考えるご遺族は多い。
筆者がまだマンションの管理担当をしていた頃、病院からのご遺体搬入に立ち会ったことがある。「おかえりなさい。やっと帰れたね。」そう言って迎え入れるご遺族にとっては、まだ生きているかのような語りかけだった。
トランクルームは、ストレッチャーだけでなく棺の搬入時にも使用される。救急隊と異なり、管理会社が開錠しなければ使用することはできない。この棺の出入りに関する当社緊急センターへのお問い合わせは年間で66件あった。事例は次の通りである(表2参照)。
とはいえ、エレベーターにトランクルームがついていない機種もある。こうした場合は、ストレッチャーも棺も臥位の状態では搬入も搬出もすることができず、状態を変えるか、階段を利用するしかない。残念ながらエレベーターにトランクルームがついている割合が分かるデータはないが、筆者の感覚値として、おおよそ3分の1程度で設置されているように思う。
「私は宇宙人から攻撃されている。助けてほしい。」
お問い合わせには、およそ現実とは考えにくく、何らかの精神的な障がいや認知症に伴う行動・心理症状によって生じたと思われるものもある。
筆者は精神疾患についての専門知識はなく、お問い合わせが何らかの精神的な障がいなどに起因しているかは判別できない。しかしながら、当社の緊急センターで受電したお問い合わせのうち、内容やその頻度、周辺情報から、それが事実に基づかず非現実的であると強く疑われる事例を抽出したところ年間88件あった(同一人からの複数回のお問い合わせを含む)。事例は次の通りである(表3参照)。
こうしたお問い合わせは、管理会社として解決に向けた対応をすることが極めて困難である。連絡をしてきたご本人が、生活上の課題を抱えているにも関わらず医療や福祉につながっていないのであれば、適切な支援が受けられることを願うぐらいしかできないことを、筆者としてはもどかしく感じている。
「うちの玄関の鍵は落ちていませんでしたか?」
筆者はよく「サザエさん」みたいだと言われる。アニメ『サザエさん』の主題歌で唄われている「♪買い物をしようと町まで出かけたが、財布を忘れて〜」という、あのフレーズからだ。
財布もスマホも持たずに出かけてしまうことや、ものを無くしてしまうこともある。そして、無くしたものはかなりの確率で発見されている。警察から電話がかかってくることもあれば、鉄道の遺失物センターに問い合わせて見つかることもある。無くしたのは筆者の責任であるにもかかわらず、どこも実に丁寧に応対してくれる。遺失物が知らない誰かによって拾われて手元に戻るとき、日本は良い国だとつくづく感じる。
そんな遺失物に関するお問い合わせは、管理会社にも日々寄せられる。緊急センターで受信した居住者等からの遺失物、拾得物の連絡は図1の通り。管理事務室で確認されるケースも多いだろうから、実際はもっと多くの遺失物があることが想像される。管理員は「拾った」という届け出があれば、遺失物の拾得がある旨を掲示して落とし主を探すなどの対応を取ることになる(現金を除く)。
では、マンションではどんな種類の落とし物が多いのか。鉄道事業者が公開している「忘れ物」は傘やタオル、ハンカチが多いようであるが、それに比較するとマンション内では、住戸キーと駐車場操作キーが圧倒的に多い。
電話の内容をみると、住戸キーでは「扉(玄関、ゴミ置場など)にさしたままにしてしまった/さしたままにしてあった。」が多く、駐車場操作キーも「操作盤にさしたままにしてしまった/さしたままにしてあった」が多い。鍵の操作をしながら何か別のことを考えていたり、別の行動をしたりするうちに、鍵の存在を忘れてしまうのだろう。
電車に乗って傘を忘れないように心掛けるのと同様、マンション内では防犯の面からも鍵の紛失に気を配るようにしたい。
なお、遺失物の品目として珍しいところでは、「ミネラルウォーターの入った箱」「台車」がある(図1では「その他」に分類)。共用廊下に「ミネラルウォーターの入った箱」を置いたままにしてしまい、通りがかった居住者に「不審物」と思われたようだ。こうした連絡があるのも、鉄道会社が過去の地下鉄サリン事件などから得た教訓として「不審物があればすぐに連絡を」と社会に啓発し続けた結果なのかもしれない。
「台車」は、宅配会社などが置き忘れたと勘違いされたようである。たとえ戻ってくることが多いとしても、忘れ物はしないのが一番だ。
「私はコロナに感染しましたので、連絡しておきます」
新型コロナの流行が第4波、第5波と呼ばれたあたりから「私はコロナになりました」「同居の親族がコロナになりました」という連絡が入るようになった。ただし、そのことは理事会やマンション居住者には内密にしておいてほしいと言う。ご本人の意図はなんだろうか。ご自身の感染は伏せた上で、できることがあれば何か管理会社で対応しておいてほしいということだろうか。
しかしながら、管理会社としては、ご連絡をいただいたところで何もすることはできない。このジレンマに悩むマンション担当者は多かった。
2023年9月に改訂された国土交通省マンション標準管理委託契約書では、管理組合で感染症などに対する対応策が立案されていれば、その対応について管理会社と協議できるよう、コメントが記載された。まず、管理組合として対応策を立案することが必要になってくる。
感染症対策として管理組合ができることは、例えば次のようなことであろう。
① 啓発活動
「共用部分の利用する際にはマスクを着用すること」「ゴミを出すときは袋の口をきっちりと縛ってから搬出すること」などを呼び掛ける。
② 狭い空間の利用方法
エレベーターはできる限り譲り合って乗るようにするなど、リスクが想定される場所でのルールを定める。
③ 消毒液等の用意
エントランスに手指用の消毒液を設置する。
この場合、エレベーターの階数ボタンやエントランスの呼び出しボタンなどは消毒液を使用すると色があせたり、変色したりするおそれがあるので注意したい。
管理会社が受信するお問い合せは、漏水などの代表的なものから、今回例示したような、少数ではあるが居住者として知っておいていただきたい事項まで多岐にわたる。
お問い合わせの向こう側には、人々の日常や抱える問題など、実にさまざまな状況が垣間見える。電話の向こうの生活の想いを馳せ、いまマンションで起きていることに向かい合える人でありたい。